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1 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:31:07 ID:UI9HhuNncV
 授業五分前の教室は既にそれなりの席が埋まっていた。

 空席の方もそれなりに散見されるのだが、それらは目と鼻の先に教授が立つ最前列席だったり両端が埋まった三人がけの席の真ん中だったりしてあまり座る気にはなれない。だからこその空席なのだろうし、一応そのような見え透いた地雷席以外も空いてはいるのだが、それにしたって貧乏くじという感覚は拭えない。遅く来た人間が悪いと言われればそれまでなのだが。

 ずり落ちかけていたトートバッグを肩に掛け直すと、百武照は改めて教室内を見回した。




引用元:https://kirarabbs.com/index.cgi?read=756&ukey=0

2 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:31:31 ID:UI9HhuNncV
 ひとまず地雷席は外すとして、比較的座るのに心理的抵抗の薄い席。具体的には前から少なくとも数列程度空いていて、出入りに苦労しない端っこの席。黒板が見辛いといけないから後ろも駄目。大体前寄りの真ん中で外側の席がよろしいのだが。

(う〜ん、空いてるかなあ?)

 心の中だけで呟く。果たして、該当するような席は、一つだけまだ残っていた。中央列、前から五番目、窓側だった。



3 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:32:46 ID:UI9HhuNncV
 当然だね、と言うかのようにこくりと頷いて、照はすたすたと席へと移動する。トートバッグを机に下ろすと、既に隣に座っていた女生徒と目が合った。口元を僅かに歪めて愛想笑い、ぺこりと会釈。そうして会釈が返るのを待つことなく目線をトートバッグへと戻し、中から必要なものを取り出した。

 英語――教養科目、実質必修――の教科書、筆箱、ノート、電子辞書。ランチパック、いろはす、スマートフォン、他の科目の諸々はステイ。一通り取り出して御役御免となったバッグは椅子の下に追いやる。さよならだけが人生だ、一時間半後にまた会おうね。

 心の中で敬礼しながらシャープペンシルを数回ノックすると、想定よりもずいぶん軽い手ごたえと共に芯が机に吐き出された。音も立てずに転がっていくそれを指の腹で押し潰すようにして勢いを止め、拾い上げる。芯は想像以上に磨り減っていて、最早小指の先程度の長さしか残されていなかった。

 これは、芯の代え時だろう。照は筆箱からシャー芯ケースを取りだしつつ、ふと、隣席の女生徒にちらりと目を向ける。彼女は俯いて、一心不乱にスマホを弄っていた。照がシャー芯を落としたことも、視線を向けられていることも気づいていないようだった。



4 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:33:11 ID:UI9HhuNncV
 思わずはあ、とため息をこぼしそうになり、慌てて飲み込む。吐き出される予定だった空気の塊は一時的に行き場を失い、暫くの間肺の辺りをうろうろと圧迫していたが、やがて鼻からゆっくりと出て行った。

 改めてふうと息を吐き、抜け殻と化したシャープペンシルに芯を注入していく。お尻からではなくペン先から、針に糸を通すように、ゲーム感覚で、芯を入れ替える程度でわざわざ集中力を費やす、その無駄遣い加減を楽しむ。平凡で無味乾燥した作業も見方一つ変えれば心踊る遊びへと変化する。少なくとも、暇潰しにはなる。そのことを、照はよく知っていた。

 そうして照が芯を入れ終わった、丁度タイミングで予鈴が鳴った。数瞬遅れて教授が入室し、弛緩していた教室内は一転して程よい緊張感に包まれる。隣席の女生徒も背すじを伸ばし、授業準備を進める教授を一直線に眺めていた。一挙一挙動作を確認、いや観察するその目つきは熱視線と言っても過言ではない。



5 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:33:28 ID:UI9HhuNncV
 ふふ、みんな熱心だなあ。照は充填の終わったシャープペンシルを人差し指と中指と薬指で挟み、中指に少しだけ力を込めた。ペンは親指を滑らかに外周し、何事もなかったかのように元の位置へと収まった。高校生のときにペン回し研究会で教わった「ノーマル」と呼ばれる技だ。ペン回しの初歩も初歩、基本形であり、発展系も数多く開発されている。初心者はまずはノーマルを覚えて、次にその発展系に挑んでいく、というのがペン回し初心者における一つの定石だった。当時の照もその定石に則って技を習得していったのだが、いかんせん彼女は優秀だった。常人ではありえない速度でもりもりと技を覚え、数日後には大概の技は扱えるようになっていたのである。その頃の百武照は何でもできたから、大抵のことは人並み以上にこなせていたのだ。

 ペン回し界隈に期待の新星が現れたかに思えたが、しかし大方の予想に反し、そして彼女をよく知る人間の予想通り、照はそれ以上技を覚えようとしなかった。



6 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:33:40 ID:UI9HhuNncV
「大体できるようになったし、もういいかな」

 なにせこれ以上深く潜ってしまうと、『広く浅く、でもちょっとだけ深く』のモットーに抵触してしまう。それは照にとって人生に対する重大な背信行為だった。

 かくして彼女はペン回し研究会から離れ、そのときに蓄えた技術を引き継いで現在に至る。彼女は優秀だから、一度覚えたことは中々忘れないのである。

 それが、この授業では仇となっていた。



7 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:34:02 ID:UI9HhuNncV

 授業の支度を整えた教授が、生徒に教科書の指定のページを開くよう指示する。周りのみんなは不平不満を漏らすことなく従う。彼ら彼女らは学生だ。そして、照もまた学生だ。みんなと同じように教科書を開く。

 そうして目に飛び込んできた文字列に、照は思わず顔をしかめてしまった。

(こんなの、高校生レベルだよ)

 心の中だけで毒づき、周りを見回す。全員が教科書に集中していて(本当に集中していたのかは定かではないが、少なくとも教科書から目を逸らしてはいなかった)、誰とも目が合うことはなかった。まだ授業が始まって一分も経っていないのだから当然である。そんなに早く授業への興味が尽きてしまうような人間はそもそも授業に出ない。照が出席しているのは、高校時代に覚えた内容を復唱するだけでつまらないからといって、必修同然の教養科目の授業をサボるほど頭が悪いわけではなかったからだ。



8 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:34:26 ID:UI9HhuNncV
 百武照は優秀だ。一度覚えたことは忘れない。だからこの授業が退屈で仕方なくて、しかし周りを見てもみんなは真面目に授業を受けている。それはみんな照よりも真面目ないい子ちゃんだからなのかもしれないし、この程度の授業でも退屈しないからかもしれない。

 照は後者だと思っていた。そのせいで、余計にこの授業は退屈だった。横目、真剣な視線で高校レベルの英語を眺める女生徒。正面、淡々とした口調で授業を進めていく教授。

 こんなはずじゃなかったのにな、と照は思った。第一志望の学校だったらこんな退屈な授業を受けなくても済んだかもしれないのに。これじゃ授業じゃなくて修行だ。まあ、受験期に勉強に集中できなかった私が悪いんだけど。

 百武照は優秀すぎた。百武照は何でもできた。しかし今、彼女はこの無味で乾燥した時間を心躍る時間へとひっくり返す方法が分からなかった。

 なんとなく、照は自分の手を眺める。先ほどシャー芯を摘んだ指の腹が薄黒く汚れていて、いやに目に付いた。椅子の下からバッグを取り出して、ティッシュの在り処を探す。

 何の穢れもない真っ白なティッシュで指の汚れを拭き取るために。



9 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:34:44 ID:UI9HhuNncV

 ○

 その日の夕方。なんとなく直帰する気にはなれなくて駅周辺をほっつき歩いていた照は、なにやら面白そうなものを発見した。

 母校、星ノ辻のセーラー服に身を包んだ少女が橙色溢れる河川敷で膝を抱えて黄昏ているのである。遠目からしか見えないがその横顔は随分と暗く、それは沈み行く太陽がもたらす影のせいだけではないように思えた。



10 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:35:00 ID:UI9HhuNncV
 星ノ辻の制服ということは母校の後輩ということであり、長くたおやかな黒髪からしてきっと美少女だろう。顔はよく見えなかったけれど、照の嗅覚がそう言っている。

 ともあれ、この照さんが悩める子猫ちゃんの相談に乗ってあげようじゃないか。何でもできた中高の彼女はちょくちょく後輩の相談に乗っていたし、そうされるくらい人望があった。人の悩みを聞くのは慣れている。照は意気揚々と少女の下へと向かった。

 と、少女は鞄から何かを取り出した。あれは……べっこう飴だろうか。照がそう認識した矢先、少女はべっこう飴を落としてしまう。慌てて少女は立ち上がったが、自分が拾うより先にどこからともなく現れた黒猫にかっさらわれてしまった。



11 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:35:30 ID:UI9HhuNncV
 あちゃー……。

 少女は肩を落とし、黒猫が走り去っていった方を呆けたように眺めていた。そのもの悲しい後ろ姿に、まあ、そりゃそうだろうなあと同情していると。少女はぽそりと、しっとりとした声で呟いた。

「にゃー」

 照は一旦近寄るのをやめて、ぱちくりと瞬きする。独り言とはいえいきなり猫の鳴き真似をするなんて、猫にでもなりたかったのかな、正真正銘の子猫ちゃんだ。そこまで考えて、照は、そういえば今日は猫耳を持っていたんだった、と思い出す。大学では一度も使わなかったけれど、なるほど、備えあれば憂いなしとはこのことかもしれない。気づかれないように猫耳カチューシャを取り付けて、改めて、照は少女に忍び寄り、一言。

「にゃ~」

 分かりやすく驚いて少女は振り返った。それを確認して、照は猫の手を作る。少女の瞳が現す驚愕の色が、次第に羞恥のそれへと変化していく。構わず、照は安心させるように笑顔を浮かべ、言った。

「子猫ちゃんこんにちは。えらく黄昏てたけど、飴ちゃんくらいでくよっちゃだめだよ」



12 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:35:48 ID:UI9HhuNncV

 陽は沈んでいく。橙色もだんだんなりを潜め、夕闇へと変貌を遂げていく。

「絵がうまく描けない?」

「はい。友達にも茶化されちゃって……」

 日向がだんだん薄くなっていく。河川敷の気温が冷めていく。

「これは私が失敬します!」

「えっ!?」

 少女のスケッチブックをぎゅっと抱え、照が言う。

 当然のように驚く少女に、照はにっこりと微笑んだ。

「代わりに子猫ちゃんに元気が出る魔法をかけましょう~」

 上空では、宵の明星が愚か者を睨みつけるように輝いていた。



13 名前:やるデース!速報:2018/11/15 13:42:46 ID:UI9HhuNncV
これで終わりです。愚か者のお話でした。
百武照は誰かが殺してあげなければならない。



15 名前:やるデース!速報:2018/11/16 15:26:45 ID:bftEYHxC3s
スレタイ見て開いたらやはり貴方でしたか星見さん、今回も情景描写がリアリティあってとても素晴らしかったです
『百武照』を殺してくれる人はいずれ現れるのでしょうか…



16 名前:やるデース!速報:2018/11/16 15:27:32 ID:ieHBTWBleD
ふんいきすき

 終わりかたすこ。
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